江戸末期の末森城 |
平成22年5月、名古屋市博物館が江戸時代末期(弘化2(1845)〜嘉永7(1854))に書かれた※『自ゴ画稿』を公開しました。全28枚の絵が収録され、堀川・熱田尾頭・日進・川名村などが詳しく写生されています。
当宮周辺の景色も多く、末森村・観月町・新池などの様子が良くわかります。末森城は現在と異なりあまり樹木が無く、松の木が目立ちます。末森山の南に見える道は、矢場町から続く高針道で、現在の末盛通から一筋北の通りに当たります。
名古屋の城下町を離れた郊外を描写したものは珍しく、大変興味を引かれます。絵師は不明の様ですが、表紙に『下』とあることから、元は『上巻』などもあったと思われます。
※『自ゴ画稿』の「ゴ」は「立心偏に『呉』」 |
末森城墟 在愛智郡末森邨
嘉永七年甲寅三月十一日写 |
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