**御由緒・御祭神**
★御由緒
当宮は500年以上前から尾張藩を始め当地の産土神として武将の篤い崇敬を集めて来た。
八幡神の託宣(お告げ)の多さとその権威は常に時代の中心思想として仰がれて来たが、当宮では中でも厄除開運・交通安全・必勝守護・家内安全の御神徳著しく、八柱の神の御神意相俟って霊験頗るあらたかである。
末森城址の殆どを境内とし、約1万坪の広さである。
千種区の東南部を氏子区域とし約52000人の氏子を擁するが、名古屋市内はもとより市周辺部、県内各地から『厄除開運・交通安全の大社』『縁結び祈願の社』としての参拝が多く、一歩境内に足を踏み入れれば、名古屋の中心とは思えない緑の杜は数少ない都心のオアシスとして親しまれている。
★御祭神
<主神>
譽田別命(ホンダワケノミコト)
息長帯比賣命(オキナガタラシヒメノミコト)
帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト)
<合祀神>
木花開耶媛命(コノハナサクヤヒメノミコト)
大山祇神(オオヤマツミノカミ)
菊理媛命(ククリヒメノミコト)
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
★末森城
末森城は天文年間、織田信長公の父、織田備後守信秀公がこの地に築城した。
信秀公は尾張の覇者として近隣を従えていったが、業半ばにして病みこの地において卒去した。末森城には信長公の弟の信行公が入ったが兄信長公と争い、永禄元年(1558)清須城にて病を装った信長公に誘殺された。以来末森城には主なく、ついに廃城となった。
城址は室町時代末期における平山城として、殆ど原形に近い姿を伝えている。
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